組合長挨拶
組合長からのご挨拶
「国の宝は山なり、然れども伐り尽くすときには用に立たず、尽きざる以前に備えを立つべし、山の衰えは則ち国の衰えなり」秋田県において大切に受け継がれている江戸初期の秋田藩家老渋江政光翁の遺訓です。
全国的に再造林が滞る昨今よく耳にしますが、私にとっても組合長就任以来16年座右の銘として「伐ったら植える」を信条としていますが、この遺訓は戦乱の世が続き乱伐による森林資源の枯渇や度重なる洪水の深刻化などを受け、森林復興のための思想として秋田藩のみならず江戸幕府においても「御林」による森林保護や「留山」による厳しい伐採規制や植林政策の下に森づくりが行われ、文明開化の明治初期には日本は緑豊かな素晴らしい国であると諸外国より称賛されたと言われています。
明治以降は、度重なる戦争と終戦後の復興のための乱伐により再び森林は荒廃し、国の造林政策に加えて木から化石への燃料革命、さらに木材の高価格もあって天然林から人工林への拡大造林が飛躍的に進みました。世に言う戦後の造林ブームです。
当地域においても、道も道具も不備の当時の時代背景の下で、血の滲むような努力によって約四半世紀(25年間)に亘り広大な人工林が造成されました。
以来、時を経て木材価格は低迷を始め、林業は政治からも経済界からも置き去りにされ、さらに世代交代も進み、ほとんどの森林所有者は完全に山離れを起こしました。
こうした時代の流れの中で、当森林組合は戦後の造林ブームの時代から林業低迷の今日まで、厳しい中にも様々な事業に挑戦し常に林業推進の主導的な役割を果たし、佐伯の林業の歴史とともに歩んでまいりました。
森林も熟成期を迎えた15年前には全国屈指の大型製材工場を稼働させ、これを契機に50年を周期として伐って・使って・植えて育てる「佐伯型循環林業」を推進してまいりましたが、まさに400年前の「国の宝は山なり、山の衰えは国の衰えなり」の森林経営の源流とも言える渋江政光遺訓の思想を受け継ぐことより、当森林組合は次世代の森づくりにしっかりと貢献出来ているものと確信しております。
佐伯広域森林組合
代表理事組合長 戸 髙 壽 生